A.N.D.が新しくリリースするのは、グラフィックデザイナーのmacciuとのオリジナルバンダナです。
macciuがA.N.D.のために書き下ろしてくれたバッチリいけてるデザインのバンダナ。
この布は用途が広くって、包んだり結んだり隠したり、マスクの代わりになったり、そのまま飾ったりもできる。
使えば何にでもなるし何にしなくったっていい。そんな素晴らしい正方形の布です。
このバンダナの制作秘話と、マチューの作品作りの裏側を少しだけインタビューしてみました。
A.N.D.TOKYOのSHOPか、web shopで購入できます。
A
今回のデザインはテーマ設定からおねがいしちゃったんだけど、どういうテーマコンセプトで製作してくれたの?
M
最近の自分のデザインはこのコロナのタイミングもあって、現実では人と人の接触ができないけど「グラフィックの中なら好きなだけ触れ合える」っていうところがテーマとしてある。ちょうど自分の展示にも出してた絵もどこかしらモチーフ同士が接触してるグラフィックだったんだけど、今回もそれの延長で全部が絡み合ってる。これも目と目が直接絡み合ってたり…
A
ほんとだ!!
M
目と目なんて飛沫感染で完全にダメだからね!(笑) それを敢えて描いてる。グラフィックだったらいくらでも触れ合っていいでしょっていう。現実世界に対しての願いも込めて。
A
なるほどね!昨日、街で「ニューノーマル」「人と人との距離をとって生活しましょう」とか「マスクはしましょう」って人同士が離れてる絵が描いてあってね。人と人が近づかないっていのがノこれからのーマルになるっていう、こんな寂しい未来あるのかって思ったんだ。だから偶然にもそれの真逆をマチューが描いてくれたっていうのはすごく嬉しい。
M
そうだよねー、なかなかまだ完全な他人とは難しいけど、信頼できる近い人とはより触れ合っていこうぜ、っていう気持ちはこめた!
A
今回のデザインは「しめ縄」とか「神社」とか日本的なモチーフを感じた。いつも、そういうモチーフがなくてもmacciuの作品は少し日本的だなという感じがしていて。それは自身が京都出身っていうのが関係してるのかな?
M
関係あるかわかんないんだけど、私のひいおじいちゃんがお坊さんだったんだ。家族ほったらかしで山に7年間ぐらい修行にいっちゃうみたいなガチなお坊さん…ちょっと信じられない話なんだけど、ある日突然山に修行に行っていたひいおじいさんが突然山から降りてきて、当時の家に戻ってきたらしくて。そしたらその晩にひいおじいちゃんが座禅組んで居間で浮いてたっていう話があるんだよね。(笑)
A
ええええええーーー!
M
そんな話を小さい頃から冗談話じゃなく、真剣な話として聞かされてたっていうのもあって、割と自然にいわゆる「諸行無常」とか「カタチあるものはいずれ滅びる」みたいな考え方や哲学は刷り込まれてたっていうのはあると思う。永遠はなくて「滅びていく」っていう考え方。あんまりこういうこと言うとスピッてると思われちゃうけど(笑)
ちょっと仏教的な、どんどん角をおとして、丸くなっていて、「無」に近づく…「空(くう)」の状態であるみたいなことは自分の作品にはあるのかもしれない。常に自分には「作品のような人でありたい」っていう気持ちがある。「自分より一歩前に作品がある」って感じ。それがその表面に現れている日本的なトーンに繋がるのかはわからないけど、自分が描いた作品を、自分がそれを追いかけているような。
A
「作品の様な人になりたい」ってとてもおもしろいね。きっとそういう根本的なスタンスが現れてるのかもしれない。じゃあこの我々が感じている「macciu独特の日本感」っていうのはあんまり民族性みたいなことを意識した上でこうなってるわけではないってことだね。
M
そうそう、わたし日本以外住んだことないから、その民族性というか日本人らしさみたいなものは30年以上日本に生きてれば滲み出てきちゃう部分だと思っていて。敢えてそれを描いてるわけではない。むしろできる限り意識しないようにしてる。
いつも自分では「癖から逆行する」ように作品を作っていて。ついつい手癖とか出ちゃうところを自分でそれを排除していってる。「自分らしさ」とか「自分」みたいなエゴをできるだけ取り除く様に、意識の中でミニマル化していく作業。だから絵を描くときは一旦自分の線をバッと引いて、そっから自分らしいところを削って修正していく、「無」に近づいていくというか…
A
じゃあ自分で選ぶときの基準は「どれが一番自分らしくないか」っていうところ?
M
そう!だけど「自分らしくないところ」を集めていくと自分らしくなっちゃうんだよね(笑)
A
おもしろい矛盾だなー。なんかmacciuっぽい!
M
できるだけ自分らしいところから逆行していく意識っていうのは自分のコンセプトとしてあるね!
A
macciuの絵は、静と動をすごく感じることがあるんだけど、動きを表現したいとか静けさを表現したいとかっていうのはあるの? なんかこの疑問もすごい「京都」とか「日本的」な話題ではあるんだけど…
M
両親も京都と奈良で、ましてやひいじいちゃんがそんなお坊さんだから、なんかあるんだろうなーとは思ってるんだけど、自分がどっちつかずな存在というか、なんかずっと居場所を探してる感じなんだよな。中二病かい!って感じなんだけど(笑)
A
それは居場所を見つけたいとか居場所が欲しいっていうのがあるの?
M
そんなわけではないんだけど、見つからないんだろうなーっていうのはずっとある。常に移動してる感じ。常に安全地帯はないし、なんか全部グレーゾーンの中で生きてるって感じかなぁ。だからそう言う意味では動いてるんだけど…
A
それはどっちか決めたいとかってあるの?
M
いや、世の中白か黒かのどっちかではないから。グレーもたくさんあるし!だから全部フラット。止まっている様で循環してるイメージ。鉄が止まって見えるけど時間が経つと錆びていくように。
A
なるほどね。だから私にはmacciuの絵は止まっているけどゆっくり動いて見えるのかも。
M
そうだね!そんな感じ。
なんでも人間の速度で考えすぎてるよね。植物や動物の時間軸はぜんぜん違うだろうにね。そういうイメージは常に持ってるよ。
A
macciuが一番美しいと思うものはなに?
M
朽ちていくものが美しいなと思うな、永遠ではないもの。
A
生き方そのものがその考えが根底にあるんだね。だから同じ場所にとどまったりせずにやっぱりそのグレーゾーンにいる。居場所がないんじゃなくて、常に変化する状態にあるっていうのがmacciuの生き方そのもので作品につながっていってるのかもね!
M : そうなのかもしれないね!
M A C C I U
京都・東京を拠点に活動するグラフィックデザイナー、作家。京都府出身。CEKAIのメンバー。世界を変えるキッカケ・可能性の提供と再発見のために、日常生活やコミュニケーションを通して得た「生き方」や「思想・手段」を記号や文字に変換して描く。作品とその空間を人々と共有しコミュニケーション(=キッカケと可能性の共有)を繰り返すことで、世界が変わると信じ表現しつづける。作品自体は、大胆な色面、削ぎ落とされたシンボリックなフォルムの描写を特徴とし、制作プロセスにおける情報の差し引きを通して、それぞれのケースに応じた最小限の情報量で提供可能な気持ちの良さと潔さを追究する。作品提供は国内外を問わず、メーカー、公共施設、書籍、テレビ番組、音楽業界など多岐に渡り、CEKAIでのチーム制作では、主にモーショングラフィックデザイナーとの共同による広告制作を手がけている。
Web Portfolio macciu.com/